ゴリラがひとになるまで

世界一デカい教員を目指して。専門的な話はhttp://gori2ya.com/

肺炎日記

こんばんは。あっくんです。

 

火曜日から発熱し、現在金曜日39度から熱が下がりません。もちろん病院は受診しました。今日はいつもの診療所ではなく、総合病院で診てもらうことにしました。

 

だいぶ弱ってるからへらった文章になるかもしれませんが悪しからず。

 

私はこれまで2度ほど、心臓が止まった経験があります。1回目が生まれた時。死産、もう一度は小学2年生の時、薬の投薬ミスです。

そして、3年生の時はかなりの期間入院をしてた記憶があります。

 

今、基本的に不自由なく暮らしていますが、昨日は正味かなり命の危険を感じてました。まぁ、息ができないんですよね。もともと喘息ではあったので、それと過体重が重なった感じになります。

 

指につける酸素のレベルは91〜92でかなり呼吸に難がありました。救急車呼ぶかとても迷いましたが、ここ数日病院に行ってたので、これ以上の措置は出来ないのかなって自己判断しました。あとは、一緒に住んでる人に心配をかけたくないという思いでした。

 

咳がたくさん出ており、扁桃腺もかなり腫れておりました。元々のお肉のせいもあり、横になると気道が全く確保できない状態でした。眠ったら死ぬ気がしたので、ソファに座り、朝まで過ごしました。

 

そしていつもお世話になってる診療所に行き、紹介状を書いて頂き、そのまま総合病院の方へ受診しました。

 

CTや血液検査などで今の自分の状態を知ることができました。結論は肺炎だったのですが、なかなかに恐ろしいなと思いました。他にもいくつか異常が見られたので、今後も通院する予定です。

 

こう体が弱るとメンタルも弱りますね。今日は、注射を打つ場面があったのですが、自分の腕を見てまた萎えるという。

 

色んな人に心配も迷惑もかけてるし、ちょっと気をつけなきゃなと思いました。

この前の日曜は、とても充実した会でこれからもそういう風に楽しんで行くなら、メンテナンスが必要ですね。

 

久しぶりに全く食欲が無く、自分でも驚いています。健康がいっちゃん大事やね。

 

経験主義に対する批判

あけましておめでとうの子どもたち。

今日はとってもかわいいと思いました。

 

相変わらず賑やかですが係の打ち合わせを一生懸命やる姿が見られました。5年生になると落ち着くのでしょうかね。落ち着いてしまうのはもったいないと思います。このまま元気な5年生になってほしいな。

 

5年生になる上でのテーマはなんだろうと考えてました。よく汎化して物事を考える方がいらっしゃいます。一般に落とし込むというか、Aならこの対応だろうみたいな、パターン化して対応してしまうことです。

 

これは一見、落ち着いて対応しているように見えます。しかし、起きている事象の原因を探らずに経験則に基づいた傲慢な対応であると考えます

 

医者で画面ばかり見て、患者を見ないのと似ていると思います。背景も違うし、症状も異なるし、経験則に頼る診断は危険であると昔から考えております。

 

教員の世界では引き継ぎというものを特に大事にする文化があります。勿論、生育歴など個人にまつわる環境をとらえることは大切です。しかしながら、この事実に担当者の主観が加わる場合があります。

 

この他の主観については私は全く意に介しません。大事なのは私がどう捉えるのかです。これまでどう捉えられてきたかはどうでもいいのです。彼らが適切な指導を受けてきた結果、その状態であるのか、もしくは適切な指導が受けられていなかったのかを判断するのは個人であります。

 

どうしても事実と感想を切り離して考えることのできない方がいます。引き継ぎをされても無駄だなぁと思ってしまいます。

 

障害の診断についても同じです。例えば自閉症と診断されている子がいるとしましょうか。

 

読者がどれだけ自閉症について知識があるかは知りませんが、私は知識なんて無くてもその子と向き合うことはできると思ってます。

 

知識ばかりが先行して、「この対応が正しい」なんて思っている方が傲慢ではないでしょうか。あくまで個人によって対応は異なります。

 

障害名によって対応が決定されるわけではありません。もちろんどう向き合って良いか考えるための材料として学ぶことは大事です。しかし、正しい対応は本には載っていません。あくまでも自分がその子について正しく捉えようとする営みが大切なのです。またはその姿勢。

 

簡単に知識が得られる時代になりました。簡単に「この子にはこうすればよいのよ」と言う人がいます。そんな人の言葉は聞いていけません。毒以外の何者でもありません。猛毒ですね。

 

一般化とは、上に述べたような物事の本質を見逃すことにもつながります。どんなものでも正しいとされるアクションがあります。しかし、本当にその場で正しいのかどうかは判断しなければなりません。

 

経験則のみによる判断はプロの行為ではありませんね。

 

 

ということで今の子たちにとっての目標を今週ぐらいで考えていかなきゃですね。今年はブログ更新頑張ります。

テーマをもって生きる

昔よりも更新が減った。更新する時は新しい刺激を受けた時だと思う。つまり新しい経験が減ったのかと思うがそんなことはなさそうである。

 

常に周りにはおもしろいことがある。世の中は自分の知らないことが大半であり、自分が理解できていることはその中の一部なのである。

 

自分の守備範囲を突き詰めるか、もしくは守備範囲を広める二択がある。両立はかなり難しいと感じる。

 

教育技術に全ベットした20代前半、遊びに全ベットした20代後半。

 

30歳はとてもぼんやりと、生きた気がする。

ぼんやりというのは、場当たり的な対応。自分の性格上計画的にというのは苦手である。テーマというぼんやりとしたものを見つけなければならない。

 

逆に言うと現状とても満たされてると捉えることもできる。前にも述べたが、人生は自身の価値を高めるゲームである。

 

最近は一つのものをじっくり考える作業ができていないように思える。周りにモノづくりをする人がたくさんいる。彼は一つのものをじっくり見る視点があるように感じる。

 

一方私は、じっくり見ることがあまり得意ではない。背景を知っているかとかそんな問題も含めて、一つのことをより深く考え見る訓練をしなければと思う。

 

ハンカチ買いに行かなきゃ

おやすみなさい

今日はなんとなく心が動いたことがあったので記す。

 

今週は正直、呪いにかかってるのはというほど毎日イレギュラーが発生している。自分のミスによるものもあれば、自然発生の要因もある。

 

毎日疲れ切ってる中でとても嬉しいことが二つあった。一つはお友だちからとてもかわいいゲンガーのぬいぐるみをもらったことだ。

とっても嬉しいのだ。今は助手席に乗せている。

紫色がとてもきれいである。

 

もう一つは、素敵な授業を見れたことである。

 

一生懸命さは人に伝わる。なんかタラタラ生きてないかなって心配になった。

 

自分と話す時間が少なくなってる。それだけ充実してるけど結局どこまで行っても自分と向き合わなければ成長は見込めない。人といるのが当たり前になってはいけないと思う。

 

ましてや、昔ほど怒られる機会は減って、私のおふざけが通る場面が増えている。だから自分を評価する時間は必要なのである。

 

自分のクラスは「世界の楽しいクラストップ10」に入るであろうと思って仕事をしている。

 

騙されたと思ったら参観しにきてくれさい。

人生をつくるのは行動。寝そうムリ

 

最低限の仕事とは

教室内でいじめや嫌がらせあった時、とある方法が流行っている。

 

それは、「本人同士の席を離すこと」である。本当にいろんな場所で聞く。果たしてこの方法によって問題は解決されるのであろうか。

 

ちなみに、この方法でしか解決できないという場合は学級崩壊をしているか、その手前の状態であることを明言しているようなものだ。

 

まず、児童が教師の指導言を守れないということを表している。特定の行動をやめさせたいのであれば、言って聞かせればよい。しかし、その行動をやめさせられないのであれば、他の行動についても徹底させられていないという事実を表している。

 

もしくは気づいていないと言った場合もあるかもしれない。無論論外である。

 

ある行動だけを止められていない

 

のではなく、

 

ある行動+その他問題行動

 

をコントロールできていないのだ。

 

 

もちろん教室内を全てをコントロールすることは教師のエゴに満ちた偽善が蔓延るクラスであろう。ただし、教師の仕事において1番大切であるのは安全に過ごせる場所を提供することである。間違いない。私はこの矛盾を抱えながら教育に携わっている。教育は強制である。しかし、である。

 

教育の醍醐味は子どもの予測できない点が50%、教師のねらいを達成していくことが50%であろう。

 

この時期までには◯◯を。このビジョンを達成させられるかを考え、そのトライアンドエラーをしていく。そもそもこのビジョンがない教師は教師では無い。

 

子どもは良くも悪くも環境に適応する生き物である。悪い環境にいれば、自分を守るために適応する。そして、とてもサボりたがる生き物である。放っておくとすぐにサボる。ひょっとすると子どもだけではないかも知れない。

 

教師の力量は様々である。その人によって得意なことは違う。ただし、安全に子どもを過ごさせるのはどの教師も目指すべきなのだ。その最低限にして難しいハードルを簡単に投げてはいけないのだ。

 

全員、必ず全員である。全員が楽しく過ごせる場をつくろうとする努力はしなければならない。

 

距離を離すことは根本的な解決にはならない。どうやったら、それぞれにとって良い環境なのかを疑う姿勢を忘れないようににしたい。

 

と自分に言い聞かせます。

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いじめをする人間とメジナ問題

辛い時に第3者はどうすれば良いのか。

色んなところで悩める坊やたちがいる。

 

自分の言葉は影響力があるので決定を促すような発言は避けたい。あくまでも第3者であり、自分が関わって解決できるようなことでもない。

 

私は楽しく行きたいし、自分と関わる人には楽しく過ごして欲しい。この考えを前提として、これからの話をする。

 

中学生が読むのか、母が読むのか、わからない。

今苦しいことは10年経てば、きっとあんなこともあったのだと振り返る事柄になる。しかし、当事者はそんな呑気な構えではない。

 

自分より弱いと思ってる人間に対して攻撃をする。よく言ういじめである。どんなきっかけでもいじめに発展させる人はいる。

 

理由は何でもいいのだ。f:id:aty0114:20230712220325j:image

さかなクンで有名?な話である。メジナという魚がいる。水槽に数匹のメジナを入れる。水槽の中はどうなるのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の世界を広く持つことが大事。このスーパー優秀な私でもいじめられた経験はある。だから誰でもいじめにあう。これは間違いない。早く経験するか遅く経験するかの問題。

 

今でもしんどくなる時がある。そんな時はいくつか自分の世界を持っておくのである。

 

まずは家族、一般的な家庭であれば自分にとって最強の味方である。

 

次に、学校や職場などの多くの時間を過ごす場所。ここでの悩みは大きな悩みになりやすい。

 

どのくらいの時間苦しい思いをしているのだろうか。6時間とも苦しい思いを、安心できないのであれば緊急事態である。すぐ身近な人に助けを求めよう。

 

あちきも苦しい場面はいくつもあった。

仕事で苦しい時は趣味に逃げ、

趣味で煮詰まった時は、仕事に逃げ、

 

自分の世界が100あるとする。

仕事がしんどいのであれば、仕事は20くらいにして、80趣味に逃げればいい。実際に最低限の時間しか職場にいない、そんなことはいくらでもある。

もし世界が一つしかないのであれば、新しいコミュニティを探すことだ。

 

きっとどのコミュニティでもいじめられることはないだろう。そうであれば、そのコミュニティを頼ればいい。

 

強靭なメンタルで生きていくためには、どこかのコミュニティで強い、自信をもてる自分があればいいのだ自信が無いのであれば努力をする。

 

へなへなした人間にならないよう、自信をもてることを見つける。何でもいいと思う。人よりも優れていると思う点を見つける。

 

一つの世界を全てと思って生きると辛くなる。味方がいれば頼っていい。苦しいのであれば、世界の広さを一歩後ろに下がって見れば良い。

 

自分の一つの世界を全てと思う視野の狭さを疑うのだ。頼ることも自分の捉え方を変えることもどちらも必要だと思う。

 

 

ちなみにあちきは、ポケモンカードもやるし、1人で旅行にも行くし、バーにも行くし、、、

ジムだって、、、

 

 

 

自分を作れるのは自分だけである。

誰かに狭められてる時間なんて勿体無い。

あつを

生きるとは闘争

生きるとは闘争である。

今日放送されたアニメ「ちいかわ」を見て感じた。ちいかわがなぜ面白いのか。それは我々の生きる世界と多くの「共通点」があることである。さらに、その共通点を踏まえた上で多くの「ズレ」がある。

 

ズレとは、現実と理想のギャップである。

本日はちいかわ63話「お祝い」の放送日である。

「お祝い」の前の話である「同じ気持ちじゃないとき」では、試験に落ちて落ちこむちいかわとそれを心配し、素直に喜べないハチワレの葛藤が描かれている。約束していたラーメン屋にも行けないほど落ち込んでいた。

人間世界においても「素直に喜べない」場面はある。数人で試験を受け、誰かが落ちた時、落ちた側の人間が「おめでとう」と言うが、心のどこかでは悔しさがある。

 

 

【一つ目のズレ】

ちいかわ世界においては、この悔しさが約束をしていたラーメンを食べられなかったという様子に表れている。

 

【2つ目のズレ】

翌日には自ら気持ちを切り替え、ハチワレの合格を心からお祝いしている点。

 

 

 

あえて競争では無く、闘争という言葉を使った意図が伝わると嬉しい。今日は彼らのセリフを原稿用紙に書き起こしてみたが、ハチワレ様の誉める言葉が多いこと。

本当にポジティブになれるなぁとしみじみ。

 

ちいかわおもしれー