今年度は
あいさつ
返事
時間厳守
を目標に指導してます。
社会人でもあいさつのできない方を見ると、ますます子どもに指導が必要と感じます。
最も必要なものと感じるより前にあいさつが発生する関係の方が好ましいですが。
「この人にはあいさつをしなくてはならない!」
と思われるような人間になりたいですね。
数年前までは子どもが意義を理解するのを待って指導していました。しかし、この数年はやるべきものとして徹底する指導に切り替えました。
意義なんぞできるようになってから知らせれば良いという考えに切り替わったからです。
言葉一つひとつにその人の人間性は表れます。
よく言う「お世話になってます。」
お世話では無い、御迷惑をである。
もしくは御指導頂きである。
世話【せわ】
[形容詞「せわしい」の語幹という]その人自身の力では出来ない事を、力・知恵など貸して助けること。
次は御世話
おせわ【御世話】
「世話」の丁寧語。
(1)「お世話になりました」の形で、他人の家を辞去する際の挨拶として用いられる。
(2)「お世話様(でした)の形で、相手の苦労に対する感謝の気持ちをこめた言葉として用いられる。
(3)「いらぬ(余計な)お世話」「大きなお世話」などの形で、自分にとってはわずらわしい相手の親切を非難したり皮肉ったりするのに用いられる。
(4)「お世話に預かります」などの形で、これかは御厄介をおかけすることになると言う気持で、目上の人に対する挨拶として用いられる。
【新明解国語辞典 第8版 三省堂 2020】
もし100歩譲ってもし「お世話」という言葉を場に合わせたいのなら(4)のお世話に預かりますである。
軽い言葉である。
人の感覚はそれぞれであり、それぞれが尊重される対象である。しかし、それを受け入れるか否かは当事者が決めれば良い。
気付かない人間は周りの人間を不快にさせる。
あいさつは気付く力を高めるには最適である。相手を敬えと教えるより遥かに効果が望める。
瞬発力が身に付いてくると相手が困っていることを察知できるようになる。子どもには気付く人間であれと思う。
口を開けて餌を待つ鯉のような人間になってはならない。