ゴリラがひとになるまで

世界一デカい教員を目指して

教えるは相互に作用する営みである

 

最近、イベントを主催して気づいたことを
100こ呟くという企画?をしている。

#ポケカ部を運営してわかった100のこと

というもの。

 

このブログの読者はかなりマニアックな人。
もはや私のファンである自覚をした方がいい。

教え子もいたり、遠い親戚もいたり、
いろんな人が読んでいる。

なんなら10年間読み続けてくれてる人もいる。
世界を変えると言っていたなんとかさんの虚言とは違う。

 

私の考えはきっと誰かに刺さって、
誰かのためになっている。

最近まではそう思ってた。

前のブログから遡れば、18歳から
このブログを書いている。

当時は世界に疑問を持っていたし、
自分の意見が確立できない悩みや
葛藤を言葉にして載せていた。

今はまた人生について考える時期になった。
だからここまで文を書きまくってんだと思う。

 

自分にとって「書くこと」は、
1番の思考のツールなんだと思う。

打ってるだけじゃなくて、
ノートにも散々書き散らかしてる。

 

これはきっと自分が変わるタイミング。
てか占いでそう言ってた。

本当に書きまくってるから最近おもしろくて、

#ポケカ部を運営してわかった100のこと

のツイートをひとつ30分くらい、
下手したらそれ以上かけて作ってたのに、
今ではネタが浮かんだら、あのツイート量を
多分5分くらい?で書けるようになりました。

 

日々トレーニングしてますが、
脳みそってこんなに速く動くようになるのか、
っていうのが今の感想です。体はそうはならない。

鍛えれば鍛えるだけ動くようになります。

それで思うのは結局ね、
成長したければ環境を作ってしまう、
追い込むっていうのが、
どんなことよりも優先されるということがわかりました。

 

 

で、あと「教える」っていうじゃん?

最近、感覚?概念が変わってきて、
自分の考えや価値観が、対象者と関わることで更新されるわけよ。

これを「教える」という言葉で
片付けていいのかという。

確かに俺は「教える」ということを
してるのかもしれないけど、
俺の中で起きているのは自分の更新なわけよ。

だから教えてるかもしれないけど、
俺も教えられてるのよ。

教えるっていうのは上意下達な行為ではなくて、
あくまで相互に作用して前に進むことなんだなって
体感があるわけよ。

これを言葉にしてもわからない。

きれいな言葉で

「子どもからも学びがあって」

なんて言う教師がいるけど、
大抵は建前よ。

本当にたどりついてる人は
そんなに多くないと思う。

それか、きらきらしたペシミストか。
どちらかだね。

多分15年?分くらい蓄積されたものが、
形として現れてきたんだと思う。

まじで子どもからも学ぶこと、
たくさんあるから。

危機感

 

 

今日のツイート。

コンプラまみれの令和。

子どもが悪いことしても怒っちゃダメ

怪我をしないように安全に準備

 

このがんじがらめの状況

そしてAIの台頭

考えることを放棄した世界

 

多様性を認めろ

グラデーションだ、はっきりと言うな

 

自分の意見もはっきりと言えない人間

教える人間のモラルも無い

そして、当たり障りなく広がる人間関係

 

モノもはっきり言えない

考えももてない

何にも疑問を感じない

 

はっきり言うけど、教員の魅力はかなり落ちてきていると思う。金を稼ぐには悪くない仕事と化している。

 

子どもに全力でぶつかれない。思ってることも発言できない。近いうち新聞に載るか、諦めて違う職を探すか、迎合するか、生きる道を見つけるか、どの選択をするかはわからない。

 

臆するつもりは無いし、俺が正しいと思うことを言えなくなった時点で辞めると思う。

 

教員の質も落ちてきている

合格番号に抜けのない教員採用試験

無限に増える人手不足

それが常態化してる

 

5年ほど前から強い危機感を持っていた

私立の採用試験も受けた

ただやっぱり公教育にこそ意味があると思って

続けてきた

 

その危機感は現実のものになりつつある

あと5年後はさらに厳しい状況になるだろう

 

できてない人には「できてない」って言わなきゃいけない。

やる気のない人には「やる気出せよ」って言うしかない。

指導法がわからないなら自ら学ぶしかない。

これを自覚できてないなら別の仕事を探すしかない。

 

説得力は何を根拠に持たせられるのか

それすら考えずにただ子どもの前に立ち続けて楽しいのか

 

努力をしてない人の「がんばりなさい」

に説得力はあるのか

 

あるわけないだろ。

計画性も何も持たずに過ごしてるから

成長が無いんだわ

 

こんな簡単なことすら言われなきゃわからない

人生もっと楽しもうぜ

 

って思ったのですよ。

まだまだ出てきそうだけどうるさいってなるから静かにするね。最近は考えること多いよ

 

 

自分の考えの転換期な気がする。

最近、高校生ぶりくらい初見の人にと愛想よくしてたら、輪が広がるよね。

 

考えることが多いけど、余裕を大切に。

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ハスカップチャイ

 

甘くなくて泣いた

 

自分の価値を上げることが人生のテーマ

今人生の岐路に立ってる...気がする。

教員以外にどんな仕事があるのかなと考えだしてから、思考が止まらなくなった。

 

これは悪い意味じゃなくて最近ぼんやりしていた脳みそが動き出した感覚。

 

別に辞めたいわけではない。ただ毎年そんなに外すことなくうまくいく中で、以前のようなこの指導はどうなのか!と暗闇の中を切り裂いて進むようなドキドキ感が薄い。

 

経験主義は廃すべきだと思うが、悲しきかな大体はうまくいくことが多い。あくまでもその場で考えて努めているが、0から教育とは何かを学んで行ったあの頃とは違う。

 

安定感といえば聞こえは良いが、それは他者から得た評価であって、私自身がおもしろいかどうかは別なのです。

 

現在、「流山ポケカ部」という主催している団体の活性化に乗り出したところだ。

これは0→1ではなく、1→10を目指す作業になる。

 

 

あーやっぱりはてなが個人的には書きやすいなぁ。noteは完全に相手を意識しての文章なので、こちらはただ指が動くまま打ち続けている。

 

仕事の話に戻るが、今自分が教師を辞めて、何か売れるものがあるのかってなった時、

 

「あれ、ないんじゃない?」って気づいた。

なんだかんだ今まで上手くいってた。なんでもある程度楽しんで終えることができていた。、

 

今回、キャリアについて考えるようになって、教えていることや学んだことを体系的にまとめることが必要なのではと気づいた。

 

センスと経験と学びの中で今の私は出来上がっているが、これを人に伝授するとなると、かなりハードルがあるように感じる。

 

したがって、自分の蓄積したものをまとめる作業が必要なのかもしれない。言語化は得意な方ではあるので、まとめていきたい。

 

もう一つは、金を稼ぐにはどうすればという意味で人が何に困っているのかについて興味を持つようになった。服を脱いで稼ぐ子達が跋扈する中で、俺には何かできることはないのだろうか。

 

 

noteの方も意味を理解できずに私の分に対して、訳のわからないことを言ってる者もいる。

個人的にはかなり噛み砕いて書いているのであれでも伝わらないのかーと思うと少し胸が苦しい。

 

人生のテーマは、

「あくまで自分の価値を上げること」

これは過去から一貫している。

 

その中で仕事を無くしたら、自分の価値が曖昧になることはとても恐ろしい。教育を極めた人は、辞めても転用できるくらいの実力がある。

 

まだその域までは全く届いていない。

ただ集団づくりにおいては自信はあるので、悩んでいる先生たちに自分がノウハウを伝えることで改善できればよいなと考えている。

弟子でもできれば実験できそう。

 

今度は先に述べた価値について要素をあげたいですね。ここまで読んでくれてありがとう。

 

あとふと最近、

誕生日は100人に祝ってもらった方が嬉しい?1人の人に祝ってもらった方が嬉しい?

という問いが降りてきた。

 

これもイベント運営に現れてる気がしておもしろいなって。

 

今日はここまでにします。こっちも更新頻度上がるかもしれない。いつも書いてるノートに入りきらなくなってきたからね、👋

 

コントロール

コントロールできないことをどうしようかと考えても仕方がない。自分のコントロールできる範囲で考えないと苦しくなる。

 

それを今日久しぶりに感じました。

自分の可能範囲で考えてみましょう。

大腸検査

初めて内視鏡による大腸検査を受けました。

前日からエニマクリンという

食事を摂りました。

 

エニマクリンの評価として、

朝食 とりそぼろと卵の雑炊⭐︎

昼食 白がゆ⭐︎ 大根じゃがいも鶏そぼろ⭐︎⭐︎

夕食 白がゆ 煮込みハンバーグ⭐︎⭐︎

 

自分が食事に求めているのは食感ということがわかりました。前日から食べられないのが辛かった。

 

前日21時までに全ての食事を済ませ、下剤をin

 

翌日は朝から15分おきに2リットルの下剤を飲みまくる。

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これもだいぶ渋かった。

あとはトイレに籠るだけ。

 

全て出し切ったら病院へGO

 

治療の際に着る服は、

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小さすぎてこんな感じになりました。

あとは内視鏡検査でしたが、例の如く麻酔は効かずなかなかの苦行でした。

アシスタントの人がずっと応援してくれてました。妊婦の気持ちを少し味わいました。

 

もうやりたくない!!

ダンボール📦

2リットルの水が6本入ったダンボールは、なぜこんなにも壊れやすいのだろうか。

 

穴のところを持つとその穴はやがて広がり、崩壊する。自然と力がかかってしまい、崩壊する。

 

ダンボールのくせにやたらと丁寧に扱わなければならない。持ち手を変えたり、穴以外の場所を持ったりとまるで自分のことを理解していない人間と話すような努力を要する。非常に面倒なのである。

 

きっと自分がどのくらいで壊れるかも理解していないから、この程度の耐久力なのであろう。本来自分が壊れやすい存在と自覚しているならば、箱に取り扱い注意ぐらい書いてあってもおかしく無い。

 

もともとダンボールにそこまで期待はしていない。しかし、自分の役割すら果たせないものに価値はあるのだろうか。

 

ダンボールにも役割は多々ある。大事なのは自己の役割を理解し、立ち回ること。できればその後も活躍も見込めるとなお良い。

 

ダンボールから得た教訓は、まずは自分の役割を果たすことである。買い物をしてなぜ私がイライラしなければならない。

 

ここで気をつけなければならないことがある。それは私が「ダンボールは頑丈」という思い込みがあることだ。

 

これはパラダイムだ。

ダンボール=頑丈

という思い込み。

 

ただ自分の考えがパラダイムに支配されてると考えると何の意見も主張できない。いろんな考えがあるからと控えめになっていては、議論は何も進まない。

 

結局は自分は自分の意見を信じて、相手に伝える必要があるのである。自分の質を高めて、マイナス要素を排除するしかない。

 

やっぱりダンボールは壊れてはいけない。

過去はバラバラにしても

卒業式シーズン。

教師にとっての師走は3月になったと思う。少なくとも我々の地域では。

 

先週、今週はジムにほとんど行けていない。今週に関してはいくとパンプしてスーツ入らなくなるので我慢してる。

やるとまじで物理的に入らなくなる。入っても腕がギチギチ。

 

 

金曜夜からまた再開。

仕事はぼちぼち。いつも通り楽しい。

いろいろ考えることがある。ふとワイのいとこが30代半ばで亡くなったことを思い出す。

 

自分もいつの間にかそんな年になっている。

今も昔もいつも楽しいが、いつまでも続くとも考えられない。

 

不安があるから人は動くのかということを考える。

 

過去はバラバラにしてやっても石の下からミミズのように這い出てくる

 

言わずと知れた名言。これは決してネガティブな感情では無い。それも全て含めて自分なのだから。

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31アイスクリーム。

ポッピングシャワーが圧倒的。おじさんたちで食べましたとさ。