教室内でいじめや嫌がらせあった時、とある方法が流行っている。
それは、「本人同士の席を離すこと」である。本当にいろんな場所で聞く。果たしてこの方法によって問題は解決されるのであろうか。
ちなみに、この方法でしか解決できないという場合は学級崩壊をしているか、その手前の状態であることを明言しているようなものだ。
まず、児童が教師の指導言を守れないということを表している。特定の行動をやめさせたいのであれば、言って聞かせればよい。しかし、その行動をやめさせられないのであれば、他の行動についても徹底させられていないという事実を表している。
もしくは気づいていないと言った場合もあるかもしれない。無論論外である。
ある行動だけを止められていない
のではなく、
ある行動+その他問題行動
をコントロールできていないのだ。
もちろん教室内を全てをコントロールすることは教師のエゴに満ちた偽善が蔓延るクラスであろう。ただし、教師の仕事において1番大切であるのは安全に過ごせる場所を提供することである。間違いない。私はこの矛盾を抱えながら教育に携わっている。教育は強制である。しかし、である。
教育の醍醐味は子どもの予測できない点が50%、教師のねらいを達成していくことが50%であろう。
この時期までには◯◯を。このビジョンを達成させられるかを考え、そのトライアンドエラーをしていく。そもそもこのビジョンがない教師は教師では無い。
子どもは良くも悪くも環境に適応する生き物である。悪い環境にいれば、自分を守るために適応する。そして、とてもサボりたがる生き物である。放っておくとすぐにサボる。ひょっとすると子どもだけではないかも知れない。
教師の力量は様々である。その人によって得意なことは違う。ただし、安全に子どもを過ごさせるのはどの教師も目指すべきなのだ。その最低限にして難しいハードルを簡単に投げてはいけないのだ。
全員、必ず全員である。全員が楽しく過ごせる場をつくろうとする努力はしなければならない。
距離を離すことは根本的な解決にはならない。どうやったら、それぞれにとって良い環境なのかを疑う姿勢を忘れないようににしたい。
と自分に言い聞かせます。