ゴリラがひとになるまで

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経験主義に対する批判

あけましておめでとうの子どもたち。

今日はとってもかわいいと思いました。

 

相変わらず賑やかですが係の打ち合わせを一生懸命やる姿が見られました。5年生になると落ち着くのでしょうかね。落ち着いてしまうのはもったいないと思います。このまま元気な5年生になってほしいな。

 

5年生になる上でのテーマはなんだろうと考えてました。よく汎化して物事を考える方がいらっしゃいます。一般に落とし込むというか、Aならこの対応だろうみたいな、パターン化して対応してしまうことです。

 

これは一見、落ち着いて対応しているように見えます。しかし、起きている事象の原因を探らずに経験則に基づいた傲慢な対応であると考えます

 

医者で画面ばかり見て、患者を見ないのと似ていると思います。背景も違うし、症状も異なるし、経験則に頼る診断は危険であると昔から考えております。

 

教員の世界では引き継ぎというものを特に大事にする文化があります。勿論、生育歴など個人にまつわる環境をとらえることは大切です。しかしながら、この事実に担当者の主観が加わる場合があります。

 

この他の主観については私は全く意に介しません。大事なのは私がどう捉えるのかです。これまでどう捉えられてきたかはどうでもいいのです。彼らが適切な指導を受けてきた結果、その状態であるのか、もしくは適切な指導が受けられていなかったのかを判断するのは個人であります。

 

どうしても事実と感想を切り離して考えることのできない方がいます。引き継ぎをされても無駄だなぁと思ってしまいます。

 

障害の診断についても同じです。例えば自閉症と診断されている子がいるとしましょうか。

 

読者がどれだけ自閉症について知識があるかは知りませんが、私は知識なんて無くてもその子と向き合うことはできると思ってます。

 

知識ばかりが先行して、「この対応が正しい」なんて思っている方が傲慢ではないでしょうか。あくまで個人によって対応は異なります。

 

障害名によって対応が決定されるわけではありません。もちろんどう向き合って良いか考えるための材料として学ぶことは大事です。しかし、正しい対応は本には載っていません。あくまでも自分がその子について正しく捉えようとする営みが大切なのです。またはその姿勢。

 

簡単に知識が得られる時代になりました。簡単に「この子にはこうすればよいのよ」と言う人がいます。そんな人の言葉は聞いていけません。毒以外の何者でもありません。猛毒ですね。

 

一般化とは、上に述べたような物事の本質を見逃すことにもつながります。どんなものでも正しいとされるアクションがあります。しかし、本当にその場で正しいのかどうかは判断しなければなりません。

 

経験則のみによる判断はプロの行為ではありませんね。

 

 

ということで今の子たちにとっての目標を今週ぐらいで考えていかなきゃですね。今年はブログ更新頑張ります。