ゴリラがひとになるまで

世界一デカい教員を目指して。専門的な話はhttp://gori2ya.com/

責任のキャッチボール

今日は持久走大会。

やっぱり熱くなるものがありました。

今日のテーマはこれとは関係ないことです。

 

責任の在り処について

例えばある問題が発生した。

 

T-T「上司とうまくいかない」

T-P「保護者に理解してもらえない」

T-C「子どもが話を聞かない

 

※Tがteacher⇨先生

  Pがparents⇨保護者

  Cがchildren⇨子ども

 

教員界あるあるだ。

上のような事象(問題)が起こると、必ずといっていいほどキャッチボールが起こる。

 

事象=⚾️

 

f:id:aty0114:20181128213722j:image

 

自分も参加してしまうことがある。

ただこのキャッチボールは、誰かが受け止めない限りいつまでも続いてしまう傾向がある。

 

つまり問題は解決しないのである。

私は以前から最適な生き方として、自分に責任を還すことを理想としている。

 

ずーっとキャッチボールをしているのである。

 

 

 

 

お前がさ、

⚾️ミ

 

いや、あなたが

⚾️ミ

 

てか、あの人じゃない?

⚾️ミ

 

⚾️ミ

 

⚾️ミ

 

............

 

ずっと続くのである。

いずれキャッチボールの勢いは収まるのだが、ボールは転がったままである。

 

つまり事象(問題)は解決されていない状態なのである。

 

この⚾️を受け止めることを責任を持つ

責任を昇華させることが責任を果たす

ということだと考えてみる。

 

 

子どもが育つということは、以前と変わるということだ。

 

その状態は常に変わり続ける。

マイナスの方向へ変わることを避けながら、プラスに変わることを考え、進めていく。

 

子どもが変わる条件として、

最も効果的なのは、C-Cの関係だ。

 

T-Cだけで培ったものは、即効性はあるが一時的な効果に留まる。

担任が変われば、ころっと変わる。

だから価値観を伝えていくことを続けていかなければならないと思う。

 

その価値観を子ども同士で判断して、練っていく。その元を提示するのが教師であろう。

 

だからこそ教師がキャッチボールを始めてしまったら、おしまいなのである。

 

あくまでも教師は⚾️を受け止めるべきなのだ。

 

 

投げる⚾️によって、キャッチボールの意味合いは変わるのであった。