Facebookとの連携を切ったのでこのブログの閲覧者数も落ち着きました。
読んでくれる人数が増えることは嬉しいのだけど、自由に書けなくなるなと感じました。
なので今日は自由に?いつも通り?に記して行こうと思います。
私、職業一応教師をしていまして、今日は教師目線で記事を書いてみます。
骨のある指導というテーマが頭に浮かびました。
◯何を持って骨がある状態か。
・指導に一貫性がある。
→教師の哲学が確立されている。
・最後まで徹底させる。
→最後まで徹底させることを指導言にする。
・しつこく教える。
この3つです。
英語の学習、楽しくて良い。
しかし、教師がコントロールできる範囲内で盛り上げなくてはならない。
静かな時間を作れるクラスと
ただ静かなだけのクラスは違う。
帰りの会、早く準備が終わった子が待ちぼうけで損するクラス。
そんなの堕落するに決まってる。子どもはサボる生き物である。大人もか!
教師の目線で気づくまでしつこく指導しなきゃいけない。あれこれ子どもに責任転嫁するのであれば教師なんかやめた方が良い。
「この子たち何回やってもできないんです。」
今後一切廃すべき言葉。「自分には子どもを育てる技量がありません。」と公言しているに等しい。
繰り返し指導してできないのであれば、現在の方法を疑う。それに気付かないので、あればいつまでも変わらない。プロにはなれない。
子どもは教師の鏡である。と教えられた。
今になってその通りだと思う。
言葉に芯を持たせるには繰り返し指導していく他にない。同じことを、繰り返し、最後まで実行させる。
疑問の余地はない。小手先の方法論に留まるのではなく、己の在り方をもう一度見つめる。
骨がある指導をしていく。
骨のある人間になりたい。