最近また多読野郎になりました。
うまくいかないときの道標に本がなっています。
自分の中で繰り返し考えますが、一定以上の答えが得られないとかは新たな考え方や知識を入れるしかありません。
高校の時の友人と先日会いました。
私の中では、出会って来た人の中で一番狂っている人です。
相変わらずでした。話しているだけでエネルギーを貰えました。彼の特性は巻き込む、巻き込まれることにあることにある。あとはセンス笑
自分がつまらない人間になっている気さえしました。
今回は
【目標と目的の違い】
について考えます。
この2冊読みました。
アドラー心理学と今更ではありますが、赤坂真二先生の学級経営本。
中に目標と目的の違いについての記述がありました。
私自身も去年、バスケ部の子らに目標と目的について資料を作って話をしました。
以下原文ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私の最も好きなボディビルダーで「カイ・グリーン」という選手がいます。
身長173センチメートル、42歳、体重は110~140キロほどあります。
体はもちろんすごいのですが(特に脚と背中)、もっとすごいのがパフォーマンスです。この体の大きさでキレッキレのダンスを踊ります。
(興味沸いた人はyoutubeで「kai green Arnold classic 2016」で検索)
彼の言葉の中に
「誰であろうとどこから来ようとそんなの問題じゃない。成功する能力は誰でも持っている」
というものがあります。
「成功」の反対の意味の言葉で、「失敗」という言葉があります。「失敗」とは、辞書で「物事をやりそこなうこと。方法や目的を誤って良い結果が得られないこと。しくじること。」とあります。
私たちは今、「目標」をもって部活動を行っています。「目標」は近い未来に達成できること、「目的」は最終的な到達点です。
例えば、受験に受かることは目標、
将来豊かな生活を送ることが目的。
例えば、修学旅行、江戸村で友達と
楽しむことは「目標」、6年間で身に着けたあいさつをする力や町の歩き方など、自分が社会で通用するのかを確かめることが「目的」
例えば、部活動、ミニバス大会で優勝することは「目標」、
では改めると「目的」はなんですかね。それぞれ違うと思います。私は自分で考えた結果であればどんな「目的」でもよいと思います。ただ闇雲に努力を繰り返すことと「目的」を持って努力することは結果が異なってきます。
「目的」があるからこそ、「うれしい」、「くやしい」、「次はどうすれば…」、「こうしてみよう」という考えが生まれてきます。残念ながら時間は何もしないでも過ぎていきます。やりすごすことは誰にでもできます。充実した1秒は、無為に過ごした10年にも勝る。つまり0はいくつ積み重ねても0のままなのです。
人生はきっと体験したことの連続ではならないのです。考え、反省し、やってみることで体験から経験へと変わっていきます。したがって皆さんにも考え、反省し、やってみることを繰り返してほしいなと思います。
私も高が24年しか生きていません。この考えは24歳の時の私の考えであって、正しいか間違っているかもわかりません。しかし、みんなが考えるきっかけになればうれしいです。
ココマデーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
目的があいまいで目標ありだと最終的には子どもがついてきません。
目的は示す必要はないと思います。
しかし、3月のゴールを示す。以下のようなプロセスが成果が上がるはずです。
小さな差ではありますが、結果が全く違います。
赤坂先生の言葉の中で私に刺さった
「子どもに残るモノは続けたことだけ」
だから学級経営は逆思考でなければならないのです。
必要なことを目標として付け足していくのです。
これは多分、一生言い続けますが、生きた年数分だけ能力が高まるはずないのです。
6年生でも3年生レベルの学力の子がいるように、
10年教師を続けていても初任レベルの実践者がいるのです。
子どものアセスメントはできるのに自らのアセスメントはできないのは悲しいです。
結局は足掻き続けることしかできないのです。
今日はもともとアドラー本を読むつもりでした。
感情のコントロールをできない私が経験から学ぶことでは遅いと感じたからです。
アドラー的には「感情は使うもの」
この言葉が刺さりました。
あくまでも能動的な営みであるのです。
俯瞰して、自分を見つめた1週間でした。
あくまでも生きることは自分の価値を高めていくことに他ならないのでした。
ネットで見つけたものだとこれがシンプル