友だち(ともだち)
この言葉に悩む人は多い。人によって定義が違う言葉だし、捉え方は千差万別。
皆様は「友だち」をどう捉えているでしょうか。教師の場合、親の場合、どう子どもに伝えるでしょうか。
よく「私たち友だちだよね?」と確認する方がいます。私は一向に構いませんが、あえて言葉にする必要はないと感じております。
「友だちは100人なんて必要ない。」
私は中学校3年生の10月に千葉から札幌に引っ越しました。この経験が私の「友だち観」をつくってくれました。
別れ際に、別れた後、関係の質が分かります。
無理に「友だちづくり」を勧める傾向が世の中にはあります。
未だに「1年生になったら友だち100人できるかな」なんて恐怖じみた曲が存在します。
まどみちお様に教えてほしい。
・「なぜ1年生になったら」なのか。
・「友だち」を定義せずに促すのは無責任でないか。
・なぜ100人なのか。10人でいけないのか。
・「できるかな」は心内語なのか。外部からの言葉なのか。
・今一年生に繰り返し聞かせているのは望んでいたのか。
道徳の学習でも「友情」と「信頼」について模範を見せる様な吐き気のする内容があります。
(最近「考えさせる道徳」が推されていますが、私は懐疑的。そもそも道徳はもっとリアルなものであり、常に更新されていくものでないのでしょうか。)
友だちなんて勧められるものでも、手本があるものでも、強要されるものでもないです。
その内自然とできていく。その時々に自分の利害に応じて形を変えていく様な関係に惑わされてはいけません。
近年スマホやら何やらで友だちの概念は変化しているかもしれません。例えば「早くラインを返してくれる」のが「良い」友だちという女の子がいました。
浅はかだなと。その理屈で考えれば「LINEサービス」が最高の友だちでないか。1秒で返信してくれる。
友達なんて何人か、何なら1人いればいいです。
友だち関係で悩む全ての人々よ。
友だちなんて必要ない。
今無理に作ろうとしなくていい。
時には勇気を出してアタックすることも大切。
その勇気はできる限り回数を減らす。
一発に全てを懸けるのだ。
むやみやたらにアタックしてはいけない。
寝てればその内できる。
「家宝と友だちは寝て待て」だ
1番身近な友だちは「自分」ではないかと考えます。
友だち...互いに心を許し合って、対等に交わっている人。一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人。
手元に辞書がなかったので悪しからず。
個人面談で「友だち関係」の話題に関心がある親は少なくありません。確認で聞かれる場合と、心配で聞かれる場合があります。
後者の場合は無理に友だちをつくるように勧めないでほしいです。
その内できます。じっくりでいいです。
なんでも即行動の私ですが友だちに関してだけはじっくりです。
「廃友だち神話」