ゴリラがひとになるまで

世界一デカい教員を目指して。専門的な話はhttp://gori2ya.com/

日曜の夜物思いに耽る

20代後半は趣味に全てを捧げた。

前半は死ぬほど勉強した。

 

仕事の性質上、自分の能力を上げれば上げるほど楽しくなる。学んだことが活かしやすい仕事である。このブログの更新頻度も下がり、かなり充実した生活であった。

 

葉巻もポケカウイスキーも車もある程度、楽しめた。仕事も今年は大分窓際感があるが、それなりに楽しんでる。私立の採用試験も受けたが、やはりやりたいことは公教育で色んな子どもと関わることということも再確認した。

 

20代最後の年、このまま教員を続けるか正直かなり悩んだ年だった。ちょい就職活動もした。教員の待遇の良さも学んだ。

 

自分の人生の目的は大きな人間になることである。大きなというのは体格の話ではなく、影響力のある人間になることである。教員の権威を利用した影響などではなく。

 

最近は公立学校やばいんじゃないって思う機会が増えてきた。昔はロートルばかりで、若い教員が必要っていう風潮があったけど、最近は逆に若い教員ばかりで「ダメなことをダメ」と言えない場面をよく見る。嫌になる。

 

自分は正直な話、アティチュードの低い人間はやめてしまった方がいいと思っている。あと、5年ほど経っても成長が見込めない人間も新たな職を探した方が良いと思う。(勤務時間の長さをアティチュードに変換する輩がいたら無視しておく。)

 

そのぐらい子どもにとっての1年は貴重である。ただ他の職業と比較して給料が低くないこともわかった。なので、金を稼ぐために子どもの相手をする人がいるのも理解できた。

 

世の中で自分の力量を高めようとする教員は10%にも満たないらしいので、教員ガチャの当たり確率は察して欲しい。

 

尊敬できる偉い人がいたのだが、その人の指導によって教員は資質を向上させ、当たり確率が大幅にアップした。そういう偉い人になるのも良いかもと思ってる。

 

先日、父親と年によって求められる役割は変わってくるという話をした。今自分に求められている役割を自覚して任務を全うしていきたい。

 

あとは人間関係は淘汰されていくものであるということもこの1年で感じている。同じ環境にいる場合は、当たり前のように一緒にいる。しかし、場所が変わり、時間が経つと連絡が途絶えている。

 

以前同じだった職場の人、毎月飲みに行ってたが職場が変わり、話の内容でわからないことが増える。わからない話をいつまでも聞くほど退屈なことはない。従って飲みに行かなくなる。

かといって同じ人としょっちゅう飲みにいくのもつまらない。話題がループするから。

 

逆に復活する関係もある。流動的なのである。一生関わらない人が大多数なのだから、傍若無人に振る舞っておいて、それでも関わってくれる人を大切にしていこうと思う。

 

昔は新しいもの好きな傾向があった。しかし、新しいものは日が経つと新しいものではなくなる。「新しい」ということに価値を見出していたのであれば価値はなくなる。新しいものよりも残ったものを大切にしていければと思う。

 

駄文を投稿する。30代の立ち回りを考えていきたい。最近、絵をよく描く。

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