ゴリラがひとになるまで

世界一デカい教員を目指して。専門的な話はhttp://gori2ya.com/

教員になった理由は、

2時間のスイートタイム後の投稿。シガーとウイスキーは最高であった。(インスタでシガーの写真をあげてもあんまりイイネがつかない。)

 

今週は謎に大量のイベントがあった。それでもホリエモン与沢翼の投稿を見ていたら暇な部類に分類されると思い、世界の広さと自分の小ささを実感するのであった。

 

書くことは特に浮かばない。ただ1週間前の更新から滞っているので更新する。

来週は修学旅行なのだ。

 

最近は子どもに「なんで教員になったの?」と尋ねられることが多い。

 

低学年にも高学年にもだ。決まって同じように答える。

それは「面白いからだ」

 

そもそも自分は教員になりたいと思って生きてきてはいない。幼稚園の頃の卒園アルバムにはセーラームーンと書いていたぐらいだ。

 

憧れのセーラームーンになることはできなかったが、今には満足することができている。

 

もともと教員に対するイメージは悪いもので、いいことを押し売りしてくる集団にしか思っていなかった。

 

正味それは今でも変わっていない。どちらかと言えば自分も押し売りする人間になっているかもしれない。

 

ただ私の教員に対する考えが変わったのは高校生の時だ。当時は附属大学に進学する際、卒業時に30000字の論文を書くことが義務付けられていた。当時はクソみたいにしか感じられなかった課題であったが今思えば、この課題が自分を大きく変えてくれたように感じた。

 

私の学校には女帝のような先生がいた。今でも名前を覚えている。いつも白衣を着ているイメージだ。

 

その先生はとにかく厳しい。課題に対する取り組みが甘かったのであれば、ボロ雑巾のように言われる。

 

その言葉に打ちひしがれる生徒も多くいたが、私はなぜか前向きなボロ雑巾だった。今でもなぜだろうと感じる。

 

むしろ文句を言っているボロ雑巾どもに「影で文句を言うくらいなら見返してみようぜ」と言葉を投げるくらい前向きだった。

 

そんな3流のボロ雑巾は高校1年生に行った時のベトナム旅行の経験をもとに、貧困についての論文を書いていた。

 

今見ると引用ばかりで自分の意見は稚拙なそれもまた、ボロ雑巾と比較しても見劣りしない作品だった。

 

ただその白衣の女帝は、私を鍛えてくれた。ボロ雑巾なりに頑張った。そして京都で多くの人に聞いてもらう機会を設けてくれた。

 

その時のことは正直あんまり覚えていない。ただ眠眠で食べた大量の餃子とその先生が空港でアホみたいな量の食事をさせてくれたことは今でも覚えている。

 

この経験は自分で大きな経験になった。

書き出すとまだまだあるが、高校時代の先生方の在り方が自分には大きく影響していると強く実感している。こんな教師もありなんだ、色々な人がいて面白いなと子どもなりに感じていたと思う。

 

大学に入っても同じで初めは授業を考える面倒さに参っていたが、教育実習を経験してからはこんなに面白いことは他にないと感じるようになった。

ライブ感のあるものは面白い。真剣に考えて失敗したから悔しいし、成功したら嬉しい。当たり前のことだが、色んなことが高校に入ったことをきっかけに変わっていったと思う。

 

先日は土曜参観があり、アカペラの3部合唱を発表した。1度目で最高のパフォーマンスをすることは困難で、前日に行った校内発表会では正直微妙な出来であった。

 

しかし、当日は練習の合唱で感動してしまった。顔を見なくても声から必死な表情が浮かんでくる程の合唱であった。

 

本当に素晴らしかった。

やはり教員はおもしろい職業だと思った。

色んなことをしていて、わりとギリギリのラインを攻めているところもあって、いつか誰かに攻撃をされるかもしれない。

 

もし制限がかかってしまうような状況になってしまうのであれば、その時は新しい道を探すのかもしれない。

 

技量をどこまでも高められる教員の魅力は底が見えないとも思う。

以上が「面白い」である。

 

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追記

かなり酔った状態で打っているので見返すと恥ずかしい内容になっているかもしれない。