自分が正しいか迷う時間はもったいない。
駐車をする。
自分の車がまっすぐ停まっているか分からない。
他の車の具合をもとに、真っ直ぐであるか確認する。
その車に合わせて停める。
その車が真っ直ぐならばいい。
もし、参考にした車が曲がっていたら自分の車も真っ直ぐには停められない。
フェンスやら他のものを見て調整する必要がある。
何が正しいかという議論は時間がもったいない。
世の中には結果が答えになる事例がいくつもある。
【解説】
今日朝急いでて、めーっちゃ車を雑に停めたんですよ。隣の車を見て、「うわー俺全然真っ直ぐじゃない」と思いつつも時間が限られていたので、無視して職場へ。
帰り際、自分の車を見てみると参考にした車が曲がっていて自分の車は正面を向いていた。
自分の車が真っ直ぐかどうかは遠くから見なきゃ見えない。
何が正しいかと議論することは自分たちの位置から動かず、自分の車が真っ直ぐであると主張することと同じじゃなあい?
正しさを求めること。他人からしたらどうでも良い。だから消化できない時はなるべく自分を遠くから見ることが大事なのである。