ゴリラがひとになるまで

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質問の仕方とは

質問とは、疑問点を他者に聞き、疑問点を解消する営みである。

 

小学校で質問の仕方については指導する機会は多い。小学生の段階でも程度が低い内容からおよそ想像できないような内容の質問をしてくる。小さい頃に身につけなければならない大切な教養である。

 

「トイレ行ってきていいですか?」

基本的にこの質問をしてきた場合、私は無視をする。しかし、何故か日本ではこの様な質問をするよう教育されている。

本来は人数確認のためにしていた質問である。しかし、本質的な意義が見失われ、権威ある立場の者に了承を得なければトイレに行くことすらできない時代になってしまった。

 

世の中にある一つの物事に対する理解が深まると質問というのは具体になる。抽象であればあるほど理解が深まっていないと私は捉える。この考えはあらゆる思考に対して切り込むことができる。繰り返す。理解が深くなればなるほど物事は具体で考えることができる。

(考えは点、思考は線、断続的に続いている)

 

 

ある教師が私に「あの子がなかなか学習に集中できないんです。」と言う。私は「集中できない前の休み時間には何をやっていたのか」を問う。しかし、大抵の場合これに答えることができない。曖昧な返答である。子どもについての理解ができていなのである。この程度であれば子どもも言うことは聞かない。浅いことと理解できていないは同義である。

 

1年生には「1+1はなぜ2なのか」的な質問をしてくる。勿論ペアノの公理をもとに解説する。

 

曖昧な認識からは曖昧な回答しか導くことができない。そして、質問者の理解が曖昧であると答える側に曖昧さを把握させるための努力を強いる。これは質問者の怠慢であると私は子どもに教える。だから質問は具体的であればあるほど良い。

 

 

子どもには質問には順位をつけろと指導する。

例えば、マザーテレサの伝記を読み、思いついた質問を列挙させる。質問の中には、

①どこで生まれたのか。

②人を助けるきっかけになった出来事は

③「愛の対義語は無関心である」を他の場面で考える

 

①、②は事実である。本を読んだり、その人物に調べたりすればわかる。③こそが本質的な質問であり、時間をかけて考えるべき内容である。

形式的な内容には時間をかけてはいけない。まず、①②のような形式的な質問と③の内容的な質問に分けさせる。具体的に物事を話せない人間になってはいけない。

 

そう指導をする。自分もいつも具体的に頭を使うよう心がけている。自分の得意とする分野であるならば具体的に答えられるようにしたい。

そのためには自分の理解が相手よりも深い状態でなければならない。そうでないのであれば看破されてしまう。

 

具体を似たような思考で書いた文があるので紐づけておく。とにかく具体で物事は考えろ。

 

 

 

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あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いします。