ゴリラがひとになるまで

世界一デカい教員を目指して。専門的な話はhttp://gori2ya.com/

大家さんのトイレットペーパー

長文です。極まりないくだらなさ。
それでもよいという方、
どうかお付き合いください。

                
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大学時代は人よりも多い授業数の中で、毎日を必死に過ごしていました。

髪の毛は金髪であったり、格好はスウェットであったり、だらしなく、みっともない状態でありましたが、精一杯生活をしていました。

特に大学に入ったばかりのころは、わけもわからず毎日を過ごしていたと思います。







その日も私は、必死に生活していました。
必死さは、私の家の位置が招いていたものでした。


当時私は、京都では高所で有名な鷹ヶ峰という土地で一人暮らしをしていました。


ママチャリで登れば、漕いでも漕いでも跳ね返され、坂を下ればブレーキパッドは1ヶ月で擦切れる、そんな場所でした。


私はやっとの思いで家に帰りました。


その日も帰ってまずトイレに行きました。


そして、用を済まし、私は一人では解決できない困難な状況に陥りました。

そう、


トイレットペーパーがない。


実家暮らしであれば、「トイレットペーパー」と叫べば、誰かがとってきてくれた。

しかし、今私の身の回りにそんなお願いをできる人はいない。

焦燥感が私を駆り立てた。


トイレットペーパーのありがたみ
そんなことに私はようやく気づかされた。
大切なことは失って初めて気づく。


私は部屋に置いていた携帯を前かがみの状態で取りに行き、助けてくれる人を探すことにした。

しかし、ここは京の都の中でも有数の孤島。

とてもじゃないが、友達にトイレットペーパーだけのために家まで来てもらうわけにもいかない。


良心と焦りがぶつかり合う。
近くにコンビニがあるわけでもない。
「ケツを拭かないで、下界まで行くか」



「このまま俺は一生ケツに、汚れを付着させたまま生きていくのか」

「便器から脱出する方法は存在しないのか」

電話帳には頼れる人はいない。

結局頼れるのは自分だけなのか、
そんな時、一人の人物のことを思い浮かべた




それは大家さん

彼ならきっと私を助けてくれるに違いない。
私はその一筋の光(電話番号)を求め、家中を前かがみの状態で探した。



そして見つけた。



大家さんの電話番号である。


即座に電話をかけ、これまでの経緯を話す。

大家さんは、トイレットペーパーを持ってきてくださると、快く引き受けてくれた。

なんて気持ちのいい大家さんなのだろうか


そして、玄関を前かがみの状態で開けておき、またトイレで待機することにした。


待ちわびたインターホンの音


聞こえてくる足音、声


全てが私を満たしていく。



「置いておくね」


トイレの前には、かけがえのないものがあった。

私は汚れを拭き、解放感を味わっていた。


このようにいつも当たり前にあるトイレットペーパーは、誰かが用意してくれているものであることを、

そんな当たり前のことに気づくことができた。

これから私はトイレットペーパーを見るたびに大家さんのことを思い出すだろう。

ありがとう大家さん


ありがとうトイレットペーパー


その数ヶ月後、私は大学の近くの物件に越しました。


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最後まで読んでいただき、ありがとうございました。