ゴリラがひとになるまで

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競争に対する哲学2016

よく運動会やマラソン大会に競争は必要か、順位付けは必要なのかという議論がされています。

 
必要のないという方も多くいますが、私は必要であると考えます。
 
 
確かに、競争することによって、溢れた子は競争したものを嫌いになるかもしれません。
 
子どもの努力自体に着眼すべきであって、結果など気にする必要がない、と考える方もいるはず。
 
その結果によって、肯定感を損ないかねないと考える人もいると思います。
 
 
 
 
しかし、私はそれでも必要であると考えます。
 
1点目に、生きている間で競争をせずに生きていけるのかという疑問があります。
 
死ぬまでに競争のない人生なんて存在するのでしょうか。
企業に入るためにも、教員になるためにも、自分の欲しいものがあるのであれば、競争する必要があると思います。
 
なかよしなかよしで競争を知らない子が挫折に耐えられるとは到底思えません。
 
 
 
2点目に、競争したことは一時の結果でしかないという点です。
 
以前、教室で
「競争は好きですか」
という問いをしたことがあります。
約70パーセントの子が好きと答えました。
 
理由に、
自分の力を高められる。
伸びた実感がある。
勝つことを目標とできる。
 
 
嫌いな子は、
負けた時ショックである。
自分のペースがいい。
必要性を感じない。
 
と答えました。
 
どれも率直で、芯をついていると思います。
しかし、私は競争でついた勝ち負けはその時のことでしかないと考えます。
 
私であれば、
中学の水泳で成功を収めることができなかった。
しかし、今私は教員という仕事にやりがいを持っている。
 
中学時代の負け、に対し、
今の私はポジティブに考えられます。
 
そこで学んだ挫折や苦悩があったからこそ、今を楽しくやれる
 
 
 
人は競争を繰り返していくことによって、自分の適性を見極め、自分に何があっているかを模索していくんじゃないでしょうか。
 
だから競争すること自体を放棄してしまうと、自分の中で完結してしまい、凄く主観的な「できた」になってしまうんじゃないかと思います。
 
競争し、人に認められ「できた」というのは客観的な「できた」であり、本当の成功体験なのではないかと思います。
 
 
 
私もまだまだ見極め中ですので、いろんなことやりたいなーと思います。
 
これが私の競争に対する哲学であります。
 
 
 
長縄を競争させるか否かという話に以前なったので書いてみました。
 
長縄に関していえば、必ず跳べない子も跳べるようになるという自信がありますので、やっぱり競争してもいいんじゃないかなぁと思います。
 
クラスが固まるための手段の一つだと思います。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
懐かしい写真。
「鹿と俺」