ゴリラがひとになるまで

世界一デカい教員を目指して。専門的な話はhttp://gori2ya.com/

評価、自分を曲げない

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近年、渋幕やら昭和やら

高校からの入学を認めない学校が増えてきた。

 

千葉大附属中なんて、そこら辺落ちてきた子のケアからしなければならないみたい。

 

ゴールを「東大入学」に設定するならば、

中学受験が必須な学校事情になりつつある。

 

中学受験を考えるならば、小学4年頃から、

受験を視野に入れて勉強に取り組む。

 

その時分で将来を決めなきゃならない。

朝5時に登校して、受験のための勉強をする。

 

わからないよ、でもこれが現日本の教育の現状である。

どうなんだろうか。

そして学校は保護者アンケートや学生FDなんてものに頼り出す。

 

保護者が望む教育、学級経営のできる教師に偏りつつある気がする。教科指導やらの優れた先生には触れずに。

 

というかそれを見極める目も持ってない。

私が言いたいのはあくまでも熟練した同業者同士でしか、評価は相互にできない点である。

 

学生FDなんてもってのほか。

FD...ファカルティーディベロップメント

 

学部生に授業の評価をさせ、授業改善を図るという取り組み。

そもそも未熟で無知な学生なんぞに委ねる時点で自分で考えることを放棄している。

どっかの政党みたいに自分たちの政党名を委ねるのと一緒。

 

個人を育てるのか、国民を育てるのか、

日本に誇りを持てる子どもに、

なんてこと教えると

愛国主義なんて言われるでしょう。

洗脳なのでしょう。

どこに軸があるのか。

 

働き方改革よりも哲学がない教育界にメスを。

血すら流れないよこんなんじゃ。

暗い廊下、汚い校舎、将来を担う子どもが育つ場所がこれでいいのかって。

ニーズというか只、要求に応えるようじゃだめだね。自分のやり方を貫かなきゃ。

 

 

最近、「◯◯さん、担任できるのあと10回もないよ」と言われる。

自分は「自分がやっていることが子どもたちに還元されている」なんて考えられる程、達観していない。

その頃また考えは変わっているかもしれないが、もし子どもと直接関わらなくなるなら辞めちゃうかもね。

 

誉められた時。

照れてもいかん、

とぼけてもいかん。

誉められた内容が

自分の意図と一致しているか。

 

い〜い学びだぁ。

 

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肉肉肉〜。